本と映画とその他で雑多煮をします

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「悪人」 李 相日

悪人 スタンダード・エディション [DVD]

 ※この記事にはタイトルの内容に触れる記述があります。

 

「dTV」ムゲン楽しい映像配信サービス にて視聴。今また再配信されています。(記事現在)見たのは去年、原作は未読。同じ原作・監督の「怒り」が公開されていたころだと思う。

邦画は最近あんまり見ないんだけれども、先が気になってぐいぐい見た。

 

話は、土木作業員の祐一が、出会い系で出会った佳乃を殺してしまう。祐一はその後、同じく出会い系を通じて出会った光代とともに逃避行をする。二人の逃避行の様子を描きながら、祐一が何故佳乃を殺してしまうことになったのか、事件の詳細が明らかにされていくという話。

 

タイトル通り、悪人とはということについて考えさせられる。

祐一が殺人を犯したことは確かな事実だけれども、祐一と光代を中心に描かれる話の中で、祐一の繊細さや粗野ながらも祖父母の面倒を見るなど優しさを併せ持つ青年を全力で責めることができない。けれども、祐一を善人というには暴力性がちらちらと垣間見えてそれも言えないというような多面的な描かれ方をする。これはどの登場人物もそうで、殺された佳乃も最悪な態度を祐一にとっているのだけれども、佳乃の父親を通して描かれるのは愛すべき娘という側面。

 

そこで注目するのは、光代という存在。では光代にはどんな多面性が描かれているのか。素直に見れば、国道沿いの閉塞した生活でありながらも、毎日堅実に生活をしているという普通の女性の姿と、殺人を犯した祐一を愛してしまったが故に悪いことだとは思いながらも逃避行をし続けるという姿だと思う。逃避行中に妹に電話を掛けるというのも、その葛藤を表しているようにも思える。

ただ、ここでふっと思ったのが、光代が国道沿いの閉塞した生活に飽き飽きしてどこか違うところへ行きたいと願っていて、それに祐一を利用したのだとしたら?純粋に殺人犯を愛し庇う献身的な姿と、自分の退屈した生活を変えるために殺人犯の祐一を(無意識か意識してかはわからないけれども、愛という感情にすり替えて)利用して逃避行した姿を光代の多面性だとしたら、最後の台詞は本当にゾッとするなと思った。この場合の一番の悪人は光代では?といった気持にさえなる。

 

ニュースを見ていると、この映画みたいに殺した側も殺された側も各々の背景なんかでてこない。けれどもそれぞれにはそれぞれの思いがあって、黒と白とでくっきり塗り分けられないことって沢山あるな。(殺人はもちろん悪いことです。)